日本のドンを乗り越えろ
いつも閲覧頂きありがとうございます。
こちらのページでは2003年3月中に分割掲載しておりました笹川たかし著『日本のドンを乗り越えろ』をご覧になれます。この著書は笹川代議士が国会議員に当選する前、昭和61年に発行されたものです。現在は絶版となっております。
誤解をされがちな笹川たかしの生い立ち
八畳一間の母子家庭での生活
フリチンでの雪合戦
「ジャガイモとイカの煮付け」ばかり父・良一につくって出したこと
大学中退後、いかに経済人として礎を築いていったのか?
21世紀は高度の情報化時代と見越した先見性
などが本人の飾らない言葉で述べられております。
なぜ、政治家を志したのか?政治家・笹川たかしの原点もここにあります。なお、著した当時とは年数も経過し生活環境や社会環境などで現在とは大きく隔たりがある部分も多くあろうかと思いますが、原作の雰囲気を忠実にお伝えするため、原文のまま掲載しておりますのでご了承下さい。
人間・笹川たかしの起伏にとんだ半生をお楽しみ頂き、これからも当ホームページをご愛顧いただきますようお願い申し上げ、『日本のドンを乗り越えろ』掲載のご案内とさせて頂きます。
笹川たかし後援会
第一部 これまでの半生
○たまにしか来ない父、きびしかった母
○学童疎開で松島へ
○終戦、疎開から帰り、大阪へ
○父良一が巣鴨から出所、誘われて東京へ
○住み込み下男の生活
○自動車の免許をとって町野武馬さんと出会う
○父良一の運転手兼秘書に。大学は一年通って退学届
○赤字のエンジン会社重役に。若さまかせにしゃにむに働く
○一目惚れ 追いつめて結婚
○ビルができて女房を入籍。子供ができておやじが認知
○若気の至り、二日で古いビルを叩き壊して新ビルに
○初めて外遊、東南アジアで戦争の深い傷跡を知る
○日赤手形事件― 一億円の損害のはずが半額で助かる
○47年12月の総選挙に初出馬無所属・無派閥で3万2千票
○48年― 母の入院と死。自分も肺結核に病む
○桐生に本社・工場を集中。野球場の一般公開が好評
○討死は覚悟だが犬死はできない― 52年参院選の始末記
○元桐生市長・荒木歓一郎さんの死。霊前に「当選」を誓う
○57年秋の総裁選― 中曽根政権の誕生に一役買う
○58年総選挙に出馬。次点で涙を呑む
第二部 私が思うこと
○戦争と平和について
○食糧の自給率を高めよう
○国づくりと郷土の発展
○知識偏重の教育をやめよう
○科学技術で安上がりの国防を
○私のスポーツ論
○一日も早く「国立墓地」を
○あとがき− 父を語る
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